こんにちは、皆さんTAKAです。
本日は、人類の永遠のテーマである「学歴」についてちょっと考えていきたいと思います。
学歴というのは人を幸せにも、不幸にもする恐るべきパワーを持っています。
なぜこれほどまでに、人間は学歴を気にする生き物なのか?
学歴というテーマからは逃げることが出来ないのか、向き合うしかないのか?
物心ついた幼少期の頃から、高齢者になっても永遠の話題に挙がるテーマである学歴について、鋭い切り口を入れて分析していきたいと思います。
目次
1. 日本人は究極の学歴コンプの民族!?
我々日本人は、学歴コンプを抱えている人がたくさんいます。
学歴でその人のレベルを推し量り、相手より自分の学歴の方が良ければ勝った気になります。
正直学歴ほど厄介なものはありません。
私自身、元Fラン大学の学生で常に周りから馬鹿にされていましたので、勉強が苦手な人の気持ちは痛いほど分かります。
初対面の人から、「Fランだからあなたは頭悪いんだね。」
「将来どうするの?」「馬鹿だからあなたには期待できないよね」
信じられないかもしれませんが、こういったセリフを嫌というほど聞かされてきました。
人間は、社会に出れば無意識の内に、初対面の相手を学歴や会社名などで判断するようになります。
なぜなら、資本主義の世の中ではお金が全てであり、「学歴=会社のレベル=その人物の経済力を端的に表す」事が理由だからです。
確かに高学歴の人の方が、より難易度の高い企業に就職でき、それらの企業は高給取りであることが一般的です。
合コンなどで、三菱商事やソニー、マッキンゼーなどといった肩書があれば必然的にモテるでしょう。
一流企業であれば年収1000万~1500万などといった一般人からしたら、目もくらむようなお金を手にすることが出来るからです。
(マッキンゼーはもっと高いですが)
お金についての話をするのは、下品な事であると言う人がいますが、私たちが最も頭を抱えて悩みとして浮かび上がるのはいつもお金の問題が出てくると思います、
家賃や学費、生活費、住宅ローンなど人生においてお金の悩みは付き物です。
そんなお金の悩みを、手っ取り早く解消できるのが、学歴だったりするのです。(ある一定のレベルの生活を送る為に)
では、どうすれば学歴で判断されず、ちゃんと自分の中身を観て貰えるのでしょうか。
はたまた、学歴の無い人は永久に周りから評価の低いまま人生を過ごさなければならないのか!?
その答えについては私のMARCHの大学時代の友人の例を見ていきたいと思います。
2. 強烈に学歴コンプを抱いていた大学の友人M
私はFラン大学から、MARCHに編入合格し、学歴コンプは解消したとその当時思いました。
ですがMARCHの大学には、早稲田、慶應や一流の国立大学にコンプレックスを持っている人たちがたくさんいました。
そんな中、大学で出来た友人Mは周りより一際、劣等感や学歴コンプを持っているタイプの人間でした。
友達いわく、「今の大学(MARCH)は本当は入りたくて入った訳ではなく、勉強をサボった為に仕方なく入ったんだ」との事。
元Fランの私からしてみると、MARCHは雲の上のような存在でしたが...
ですが、上には上がいるのです。
友人Mは、大手の自動車関連のメーカーに就職し、社会人になってからも自分がMARCHという事で周りの一流大学の人と比べて、レベルが低いと嘆き、
連絡を取るたびに、海外の一流大学に留学したいなどしきりに学歴ロンダリング
(三流大学出身である事を隠すため、大学院に進学する事)をしたいといつもぼやいていました。
私はそれを聞いて、確かにその気持ちも分かる。だが果たして学歴を手に入れて本当に欲しいものが手に入るのか? といつもわたしは疑問に思っていました。
もちろん、私自身最終学歴がMARCHではあるが、もし出来るなら海外の一流大学で学んでみたいと今でも思います。
ですが、本当に欲しいものは別のところにあるかと思います。
なぜなら、学歴で手に入る経済力はおよそ、年収のレンジでいくと1000~2000万くらいが限界でしょう。
しかもこの金額になると、半分近く税金で持ってかれてしまいますので、かなり効率の悪い稼ぎ方にもなってしまいます。
3. 学歴以上に必要なモノは「実績」である。
私がいま確信を持って断言できる事があります。
それは学歴以上に必要なモノは「実績」であるという事です。
今まで何か大きなことを成し遂げた事が無い人間は、何かしら自己を正当化する為、また自分を大きく魅せようとブランドに依存しようとします。
「自分は他と違う」、という強い自己顕示欲を満たそうとする形です。
ポイント
一流大学の肩書がある事は、それだけで自己を大きく魅せる事が出来るのです。
また身の回り品をブランド類で固めて、自分はお金を持っているという事をアピールする人もいます。(デザイン重視で買う人も中にはいる)
人間は、会社名や社会的地位が得られるような職業といった、分かりやすい指標を気にします。
そういったモノで、社会から認められたいと強く望むのです。
しかし、私は本当に大切なモノは学歴や肩書、ブランド品では無いと考えるのです。
本当の超一流はそんなモノに頼らなくても、自分という存在そのものが武器になるのです。
自分の存在さえあれば、車や家、ブランド品などに頼らなくても、大丈夫であるというのが本物の超一流なのではないか?
と私は考えています。
たとえば、今ネットの世界では10代で月収1000万円を稼ぎ出す猛者(キメラゴンさん)などがいたりします。
そういった方たちは、もはや学歴や会社などの肩書が無くても、月に1000万を個人の力で稼ぎ出した。という絶対の自信と実績がある為、その自分の存在だけで満足してしまうのです。
皆さんは月収1000万というフレーズを聞いて、どう思われますでしょうか?
自分には無理そうだとか、そんなのガセネタだろ? など思う方もいるかと思います。
私自身も初めて、中学生がそれだけの大金を稼いでいる世界線を聞いたときは衝撃でした。
多くのサラリーマンが、汗水垂らしてやっと月に20~30万を稼ぐところを、それの30倍以上を稼いでいる人間がいる事を信じろと言った方が無理なのかもしれません。
こうなれば、もう学歴コンプに悩む必要は無いでしょう。
なぜなら、東大に行くより、個人で月収1000万円稼ぐ事の方が圧倒的に難しいからです。
4. 実績を作るにはどうしたらいいのか!?
ではいきなり月収1000万円稼ぎましょうというのは無理なので、
自分が努力したら作れそうな実績を作るのがいいでしょう。
例えば、万人に評価を得やすい実績として、英語の資格などはどうでしょうか?
日本では英語が出来ると神扱いされます。
ポイント
数学が出来ることよりも、英語をペラペラに話す事の方が確実に難しいでしょうが、英語がペラペラレベルまでいくと周りからの目はガラリと変わります。
英語をきっかけに、人生の選択肢は間違いなく広がりますし何より英語習得はリターンがめちゃくちゃ大きいです。
大学受験、就職、プライベートなどありとあらゆるシーンで英語は武器に出来ます。
私も英語のおかげで、MARCHに編入する事が出来ました。
人生において死ぬまで、英語は大きな財産になるでしょう。
また英語以外で、
私がおすすめするのは「発信力を鍛える」ことです。
例えば、いま色んな人が参入しているYoutubeも発信する為のツールですし、
SNSのtwitterや、私がいまこうやって記事を書いているブログのようなモノでもいいでしょう。
とにかく、何かを発信し続ける事で、あなたの存在が世に知れ渡ります。
あなたに人間的な魅力や、価値ある情報を提供できる人物である事が周りに知れ渡れば自然と人が集まり、新しい何かを創り出すことが出来ます。
それは例えば、ビジネスでも良いですし、一生涯の仲間づくりでも良いでしょう。
人が集まるところには、富が発生するように出来ているのが世の常です。
東京に住んでいて、これほどまでに色んな人たちが集まり、経済が集中して、大きな富が生まれています。
ビジネスは集客さえできれば、何でも売る事が可能です。鉛筆からロケットまで、売る商品は何だって構いません。
私はブログを運営していて、月に何千人という人々を集客できるようになりました、
また集客の仕方が分かるようになると、そのノウハウを活かして、その経験が必要とされるようなWebマーケティングの会社にも転職出来るようになります。
WordPressを立ち上げて、レンタルサーバーを借り、独自ドメインを取得するというのは言うほど簡単な事ではありませんが、
そういった事が出来るというだけで、実は武器にもなったりするのです。
もうお分かりいただけたでしょうか? ひとを集める事の出来る、集客力を持つことであなたはモノやサービスを売ったりする事も出来るのです。
なので「発信力は武器になる」という事が言えます。
是非何か、インターネットの力を利用して何でもいいので発信し続ける事をおすすめします。
特にブログは、記事を書けば書くほど資産となり、集客の力が増すのでストック型のビジネスとしてはかなり優秀なビジネスモデルです。
もちろん最初の20~30記事は全く読まれないかもしれませんが、記事数が増えれば増えるほどに読者の数も比例して増えていくでしょう。
もちろんユーザーのニーズに合致するような内容になっている事が条件ですが、それは100記事200記事書いていく過程の中で感覚が掴めるようになっていきます。
Webライティングのスキルはあらゆるビジネスでも応用が効いてくるので、是非身に付ける事をお勧めいたします。