英語学習

Fラン大学とMARCHの学生を経験してみて分かった事。英語で人生大逆転編

🔄2021-03-30

こんにちは皆さん、高校時代は母親から付けられたあだ名が3年寝太郎のTAKAです。

 

いやあコロナで世界は変わってしまいましたね、ワクチンの接種も一般に広がってきて収束まであとどのくらい掛かるのか、本当に今は一人一人が気を付けなければいけない時期です。

タイトルとは関係ないですが、この感染症に立ち向かうには人類が力を合わせなければならないと思います。

いかにこの未知のウイルスを克服していくのか、本当に長期戦を覚悟する必要がありそうですね。

今現在、私もマスクをして仕事をしたり、在宅ワークも取り入れるなどしていますが、いつ自分の会社が危うくなるのかなんて誰にも分かりません。

私の会社は、売上が自動で成り立っていくような仕組みが出来上がっているので、何とか不況でも乗り越えられそうだとは思うのですが、
常に明日は我が身というつもりで日々を過ごしております。

 

目次

1.  Fラン大学の実情

2.  大学2年のゼミで出会った、アメリカと日本のダブル国籍を持つ恩師に触発される。

3.  NYから帰国後、MARCHの編入を決心する。

4.  MARCHの学生の実情とは!?

 

 

1.  Fラン大学の実情

 

私自身、中学高校と勉強はほんとにおろそかにしていましたので、案の定進学先はFラン大学に通っていました。

Fラン大学の実情はといいますと、普通に一流大学を卒業したまともな大学教授がおり、大学らしい大学の授業を受けることが出来ます。

 

しかし、Fランに通う大学生は人生を完全に諦めている人たちが多いように感じました。もちろん私もその中の一人でした。

何故か18-22歳の一番輝いているハズの若者たちなのに、雰囲気は覇気の無いおじいちゃんおばあちゃんの集団といった感じでした。

何でこんなに覇気が感じられないのだろうと、当時の私は周りの人たちや自分自身を分析しておりました。

 

そこで判明したのが、学生の本分はあくまで勉学であるという事。

学問を捨て、Fランの学生たちは目の前の享楽的な遊びに時間を費やしたり、アルバイトをして小金を稼いだりして、その一瞬さえ良ければ良いという考え方が定着してしまっているのかもしれません。(それが全員では無いですが)

しかし、就職の時にいかに自分が無駄な人生を費やしてきたかを思い知らされる事になります。

当然Fラン大学の就職先は、家電量販店の店員や、自動車のディーラー、パチンコの店長など、見るも無残な未来が待っていました。

地元名古屋のFラン大学2年生だった自分は、このままでは本当に人生が終わってしまうとこの時すでに予知出来たのでした。

 

 

 

2.  大学2年のゼミで出会った、アメリカと日本のダブル国籍を持つ恩師に触発される。

 

人生の転機が訪れたのは大学2年生の時でした。

私のゼミの先生が、アメリカの大学を卒業しているアメリカ国籍を持った日本人でした。

その先生いわく、「名古屋の殻にこもってないで、広い世界を見てこい」としきりに学生の私たちに言っていました。

そんなタイミングで、自分の大好きな赤西仁君がLAに留学へ行って帰ってきたこともあり、私自身は強烈にアメリカへ留学したくなりました。

そこで、直ぐに決断して両親を説得し、NYへ語学留学する事になります。

 

このNYの留学が私の人生を完全に変える事になるとは、当時の自分は思いもつかなかったです。

 

初めて、JFK国際空港に降り立った時の記憶は今でも、昨日の事のように覚えています。


英語が全く出来ない状態で行ったので、空港で最初に迎えのドライバーを見つけた時はほっとしました。

空港から、マンハッタンにある学生寮までは小一時間程度でしたでしょうか。

アメ車のリンカーンで送迎だったので、車窓から見えるNYの街並みがとても贅沢でした。

 

そして、学生寮に着き、二人部屋に案内されましたが、2週間の寮滞在期間中はルームメイトがいなくてずっと一人で使用する事が出来ました。

ただ寮に設置しているコインランドリーの使い方が分からず管理人に聞いても、英語が分からず意思疎通が出来なかったので、仕方なく洗面所で洗濯をずっとしておりました。笑

語学学校では本当に全てが別世界のようでした。

世界中から集まってくる外国人たちがおり、当時有名な韓国のアイドルグループのWonder girlsも自分がいたついこの間まで同じ語学学校に通っていたとの事です。

 

語学学校では、英語を学ぶことの楽しさを教えて貰い、自分で英語を勉強しようと思えるようになったのも学校のおかげだと断言できます。

また語学学校では慶應や、早稲田、同志社大学などの有名大学に通う日本人学生もおり、Fランの自分からしたら、とても違う世界の人たちのようにも感じました。

現地では主に外国人の友達と常に行動を共にするようにして、気付いたら英語がそれなりに話せるようになっていました。

 

 

 

3.  NYから帰国後、MARCHの編入を決心する。

 

約半年間の留学を終えて、日本に帰ってくると、私は元いたFラン大学には戻る気はありませんでした。

そして、留学で得た英語力を武器にMARCHへの編入試験を受ける事を決意しました。

編入試験の対策の為、河合塾の編入予備校に入る事を決めて、毎日予備校に通っては英語と、経済/経営関連の小論文の勉強をしておりました。

 

またそこで気付いた事は、英語は何とかなるのですが、小論文の難しさでした。

あるテーマにしたがって、自分なりの意見を書いたり、論理的に文章をまとめていかなければならないので、意外と鍛錬が必要になってくる事が分かりました。

何度も何度も書いては、先生にはバツを付けられ心が折れそうになりました。

半年くらいは予備校に通いましたが、受験当日まで小論文で良い評価を貰った試しがありませんでした。

この事に危機感を覚えていましたが、何故か試験当日では会心の一撃で小論文試験で合格しました。(英語も問題無く合格)

 

面接も問題無くパスして、3年次編入に受かり、晴れてMARCHの学生として第2の人生をスタートさせる事になるのです。両親はとても大喜びしていました。

 

 

4.  MARCHの学生の実情とは!?

 

私が感じた、MARCH学生の特徴としては普通に皆そこそこ勉強が出来て優秀な人が多かったように感じます。

皆が偏差値70レベルの進学校から来ているので、やはり地頭も良く会話していてまともな人がたくさんいました。

またMARCHレベルになると、行動力がある人も多く、海外留学をするような学生もたくさんいました。

 

Fランの時の環境と比べて、とても充実した学生生活を送っている人が多く居たような印象を受けます。

もちろんMARCHに通っている学生たちの最大の関心事に、就職活動がありました。

東大、一橋の学生たちには敵わないとしても、早慶上智クラスの人たちなら何とかいい勝負できるのではないかという、淡い期待を持ち合わせて挑んでいく人たちがたくさんおり、受ける企業も有名どころや一流どころばかりでした。

 

私ももちろん、就活をやっておりましたが、筆記試験が中々通らずに絶望していました。

筆記で何とか通った企業も、自分自身明確にやりたい事が無かったのでことごとく惨敗でした。

私は、留学、浪人、留年と3年くらい普通の人より遠回りしたので、これが大きなビハインドとなり、かなり就活はてこずる事になりました。

全く内定を貰えない状態で、卒業してしまい、一年くらいはフリーター生活をしながら気長に就活を続けておりました。笑

 

今思えば、何という絶望的な時期だったのでしょう。

フリーターで一年くらい経つと、運よくエネルギー系の商社に内定を貰いましたが、そこはブラック企業で4ヶ月足らずで辞め、次の専門商社には自分の英語力を買われ、また直ぐに内定を貰う事が出来たので、ほっと一安心でした。

今はこの専門商社(スーパーホワイト)で、社会の荒波に揉まれながら、日々何とかやりくりしている状態です。笑

 

 

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